「不幸・苦難・悲しみ」の原因は自分で作っている

人は、毎日、「不幸・苦しみ・悲しみ」の「種まき」を続けています

メイにゃん:
ねぇ、ねこ茶、なんで生きるって苦難の連続なの?
ねこ茶:
どうした、メイにゃん!
なんか悪いモノでも拾い食いしたのか?
グミにゃん:
ねこ茶!、
真面目に聞いてあげなよ!
ねこ茶:
すまん、すまん、別の意味で心配じゃったのでな。
それでは、真面目に考えてみようかの!
メイにゃん:
今日は、猫缶なしだったわ…
それも苦難の一つよね
ふくニャン:
………???

「人を呪わば穴二つ」の意味を思い出しましょう

「人を呪わば穴二つ」は、「他人のことを呪い殺そうと思えば、自分も同じように死ぬから墓穴は2つ必要」という意味です。簡単に言えば「因果応報」です。
今までの自分の行いに、すべて「因果応報」が適用されたら、あなたの人生は「幸福」になると思いますか? それとも「不幸」になるでしょうか?

多くの人は「自分は悪い事なんて殆どしたことが無い」、「犯罪歴なんか無い」と言いたくなるかもしれませんが、因果律とは「法を犯すこと」だけに適用されるわけではありません。

貴方は、人を憎んだことがありますか?、恨んだことはあるでしょうか?、不幸を願ったことは?、陰口を言ったことは?、嫉妬したことは?、人を傷つける言動は?、暴力は?、人や動物を虐めたことは?

すべてに「いいえ」と答えられる人は稀でしょう。
ですが、その人こそが「幸福」に一番近くにいる人です。なぜならば、自分の不幸の原因となる「種蒔き」をしていないのですから。

フランスの高級霊(名前:インペレーター・1870年代出現)は因果律について
  • 「人の言葉、思い(祈り)は、池に投げ込まれた小石の波紋のように広がる。その影響は広く大きく周囲へ影響を及ぼし、その全ての影響には、自分が責任を負わなければいけない」
  • 「一つの言葉、一つの思い、一つの行為には、その結果と影響に計り知れない重要性があることを知らねばならない」
  • 「それが善なるものであればその後の生き甲斐の源泉となり、邪悪なるものであれば苦悩と悔恨のうちに責任を取らされる」

と語っています。

人が発した悪意ある思考・発言・行動が元で起こった、全ての影響と結果に対して責任を負い、「因果応報」として、その人に「不幸」を呼び込みます。

例えば貴方が、ある人(Aさん)に悪口を言って傷つけたとします。その結果、以下のことが発生したとしましょう。

  • Aさん:腹が立って、Bさんに嫌がらせをした
  • Bさん:家に帰って、子供のCくんを意味もなく怒鳴った
  • Cくん:腹が立ち、学校でDくんを虐めた
  • Dくん:虐められた不満から、近所の猫を虐めた
  • 猫ちゃん:人間不信になり、Fさんに噛みついた
  • Fさん:猫嫌いになり、近所の捨て猫を見捨てた
  • …以下、延々と影響が広がる

これらの影響と結果に対して、自分がすべての責任を負うというが「因果律」なのです。
そんな、些細なことに、「因果律」で全責任を負わされたら「誰も幸せになど、なれないだろう!」と言いたくなりませんか?

その通りです。
だから「この世には苦しみの発生しない人生」など存在しませんし、「完全な幸福」を手に入れることもできません。

ですが、不完全な私たちであっても、他者への「悪意ある行動・発言・思い」を減らし、「善意の行動・発言・祈り」を増やすことで、「因果律」がマイナスに働かないように努めることならば、今からでも始められます。


高級霊シルバーバーチ(英国、1921~1981年交霊会に出現)は、以下のような厳しい言葉を残しています。

  • 蒔かれた種(原因)は、絶対の摂理に従い相応の果実(結果)をもたらす。
  • 「因果律」は、数学的・機械的正確さをもって結果を自分の元へと帰す。
  • 謝罪・反省して改心しただけでは「種」を回収したことにはならない。
  • 「因果律」は全ての世界において絶対の法則であり、永遠に不変である。
  • いかなる信仰、儀式、祈り、お守り、聖典、賛歌を用いても「因果律」から逃れることはできない。

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「苦しみ、悲しみ」の「因果律」が発生する理由

毎日の生活で私たちは、「何らか」の「種蒔き」を続けています。「良い事」も「悪い事」も…。 ですが、なぜ他者への悪意ある行為は、自分に同じ重さで帰ってくるのでしょう?
それには、大きな理由があります。

その理由は、すべて人間・動物・植物の魂は、最初は1つであり、今も互いにつながっているからです。
下の図のように、全ての生命の魂は大霊を通してリンクしています。

「苦しみ、悲しみ、不幸」が自分に跳ね返ってくる仕組み


互いの魂(霊)が繋がっているため、他者に害を与えると、必ず自分にも害が伝わります。

  • 「大霊」……身体
  • 「人の魂」……手足
  • 「動物の魂」……指
  • 「植物」……爪・髪の毛

のように考えると、より理解しやすいと思います。

他者を傷つける行為は、「自分の体」を傷つけることになり、自分にもその傷の影響(痛み)が返ってくるというわけです。つまり、「他者を虐めたり、呪ったり、傷つけたりする事」は、「自分を呪い、攻撃している」のです。
反対に他者を、「助けたり、慰めたりすること」は、「自分を大事にすること」になるのです。

今の話から、下記の諺を「なるほど」と思いませんか?
  • 「情けは、人の為ならず」
  • 「人を呪わば、穴二つ」

多くの高級霊(シルバーバーチ、インペレーター、アウグスティヌスなど)も、催眠療法を用いた「人間の潜在意識からの言葉(前世療法より)」も、全ての魂は同質・同一のものである…と述べています。

一人では「苦しみ、悲しみ」から抜け出せない、「幸福」にもなれない

「因果応報」、「因果律」、そして「魂のリンク」から一つの事が見えてきませんか?
それは、どんな生命体であっても、決して孤独では「幸福」にはなれない、ということです。

孤独でも「生きること」は出来るかもしれませんが、幸福にはなれません。幸福とは、他者と「善意」で向き合い、互いに「善意の絆」を結べた時に訪れるものだからです。

互いの「善意の絆」は、言い換えれば「愛」とも言えると思います。



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