汚い心の自分が嫌い!好きになれない!…は喜んでいいかも?

自分の心の醜さが「嫌」になったら、どうすれば良い?

メイにゃん:
あ~私って駄目な猫ね!
グミにゃん:
私もワガママばかり言って、ダメな猫だよ~。
ねこ茶:
ワシも、その時の気分で叱ったりして本当にダメな飼い主じゃ。
ふくニャン:
みんな!!
自分の「醜さ」に気づき、嫌気が差した時が「成長」のチャンス、ニャ!

自分の心の汚さ・醜さが好きになれない時の対処法

ちょっとしたことで、他人の事を憎んだり、嫉妬したり、怒ったりしてしまうことはありませんか?
ちなみに、私は、ほぼ毎日です。本当に嫌になってしまいます…自分が。

私は、そんな時、自分の心を「操るのが難しい乗り物」ように考えて、どう操縦したら良い方向へ向けらるか?…を考えることにしています。

例えば、誰かが立派な立場にいて輝いている時に、自分が見すぼらしいくて恥辱と嫉妬心が湧いてきたとき、その結果だけを見ずに、「これまでの努力の違い」、「現在の苦労の違い」、「自分が本当にその状況を望んできたのか?」…などを考えます。

もし自分がこれまで人との関わりを嫌って引きこもる生活を望んできたなら、表舞台で脚光を浴びる人を嫉妬するのは、おかしな話です。でも人の心は、そんな矛盾など関係なく反応して、光を浴びている人間を羨み、不幸を望んだりするものです。

だから、自分で冷静になって「過去の行動」や「過去の望み」を整理して考えてみるのです。
そうすると、大抵の場合は、今の境遇は自分が望んで築きあげただけ…ということが理解できて、嫉妬心を抑え、心のコントロールを取り戻すことが出来ます。

もし、今の境遇が不満があるならば、「今」から抜け出す努力を始めれば良いだけです。
人の事を妬んだところで、得るもの「心の醜さ」だけで、自分のためになる事は何一つありません。

 

心の美しい人間に生まれ変わるには?

残念ながら、たった今、心が醜い人・汚い人が、魔法などで一瞬に「美しい心」へと変化する方法はありません。

人の心とは、毎日毎日、紙一枚分の厚みを積み上げていき、いつの間にか厚い「一冊の本」のようになったモノです。その厚い本(心)の全部を、一瞬で書き換えることなど出来ません。

自分の心を美しく変えたいならば、今から毎日、良い心の状態を保ち、再び「厚い本」が出来上がるまで努力を続けるしかありません。

自分の心に「醜い感情」が湧き上がってきたときに、その度に醜さと向き合い戦って、良い心の状態を取り戻す…という努力を毎日続けていれば、いつも間にか貴方の「良い心」の状態が「厚い本」のようになり、「心そのもの」へと変化していきます。

それが、「美しい心」に生まれ変わったという事ということです。


「美しい心」を育てる過程は、絵の練習過程に似ている?

 

この絵の1年前は、小学生にすら笑われるような「酷い絵」からスタートしたのです。

ねこ茶は絵を描くのですが、自分の「美しい心」を育てる過程は、絵の技術を育てる過程に、非常に似ています。
なぜならば、絵の上達のためには、人に絶対見せられないような醜く、崩れた絵を何度も描き、それらと向き合わなければいけないからです。

絵を描かない人は、絵の上手い人を見て「才能があるから上手いのだな」と考えていますが、それは大きな間違いです。
才能のある人でも、普通の人でも、絵の上達のためには、目を背けたくなる絵を何度も描き、僅かずつの上達を繰り返すしかないのです。

上手い絵を描きたい人にとって、自分の描いた「下手な絵」と向き合うことは、非常に大きな苦痛を伴います。
音楽やスポーツ、ダンス等とは違い、絵は、どんな素人でも「醜さ」が認識できますし、描いた絵は目の前に残り、存在し続けるからです。

ですが、その分、自分の描く絵が、だんだんと美しく、バランスの取れたものへと変化していくことが認識できます。
人の心も同じように、「醜さ、歪み」を見つけ出し、向き合い、反省し、何度も修正を繰り返すことで、僅かずつ改善していくものなのです。

「美しい心」になろうと決意して、取り組み始めた直後は、これまで自分が培ってきた「怠け心、薄情さ、幼さ、弱さ」などばかりが意識されて、とても辛いのですが、たとえ、ほんの僅かでも改善しよう!、成長しよう!と自分に言い聞かせて歩むしかありません。

1800年代に行われたフランスでの霊界通信で、高級霊は、自分の心を正すには「悔恨と恥辱の中に、時には意気消沈し、時には絶望の底から叫びつつも、その道を歩まねばならぬ」と言い残しています。


自分の「醜い心」の責任は、すべて自分にある?

では、どうして自分の心に「醜さ」が存在するのでしょう?
性格の良い人、優しい人、温かい人、寛容な人…の心は、どのようにして生まれるのでしょう?

現代人の多くが勘違いしているのですが、「人格・性格・本性は、誕生時に偶然獲得したモノ」と考えていることです。それは、あらゆる才能や技能についても言えます。

高級霊からの教えによれば、私たちの本当の存在は、永遠に死ぬことない「スピリット」であり、数百万年年もかけて何度も転生を繰り返し、微生物から動物、そして知的生命体へと宿るようになり、霊性・精神を進化させてきており、今後も数億年をかけて「神性領域」まで霊性を進化させていく…とのことです。

ですから、今のあなたの「心」は、これまで様々な人生を過ごす過程で行った「行為」による結果であり、どのような状態であれ、すべての責任は自分自身にあるのです。

つまり、もし自分の心に「醜さ」があるのであれば、それは、これまで何度も「醜い行為」を行ってきた結果なのです。
自分の心の「醜さ」がすべて、自分が行ってきた行為の結果なのですから、「これまで自分は、どんなに酷く薄情なことをしてきたのだろう…」と愕然としますが、それが事実なのです。

今でも、そして、これからも、あなたの日々の「選んだ行動、行為」は、あなたの「心を形成」していくのです。

●高級霊の語る「人間の性格形成」とは?
(高級霊シルバーバーチ:「シルバーバーチの霊訓…地上人類への最高の福音」より)
●質問者: 人の「人格の高さ」や「性格の良し悪し」はどのようにして決まるのでしょうか?
〇シルバーバーチ: 「本当のあなたの、その時その時の“質”の程度は、それまでどういう生き方をしてきたかによって決まります」

●質問者: つまり、人間の人格・性格は「過去の行い」によって定まっていくのですか?
〇シルバーバーチ: 「自分第一の生活を送れば、その人の霊性にいじけた生活の結果が色濃く出てきます。利己的生活はいじけた霊性を作り出すように摂理が働くからです」
「反対に、自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません」

●質問者: 性格を変えるための「特別な方法」とかはないのでしょうか?
〇シルバーバーチ: 「私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人としてその神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません」

「自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。また神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます」

「すなわち親切、寛容、同情、奉仕の行為が自動的にそれ相応の結果をもたらして霊性を高め反対に利己主義、罪悪、不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。みっともない執行猶予も安価な赦免もありません」


●質問者: では、今の自分の人格・性格・個性は自身に全責任があるのですか?
〇シルバーバーチ: 「現在のあなたは、これまでのあなたの行為・・その身体で行ったこと、心で行ったこと、つまりは【これまでの生活全体の総合結果】であるということです」
「人間霊の本来の姿は地上にいる間は見えませんが、死の敷居をまたいで肉体から切り離された瞬間から、その有りのままの姿がさらけ出されます」
「地上生活中に自分でこしらえた個性をそっくりそのままたずさえて、こちらへ来られます。あなたにとっての本当の財産とは、地上での日常生活で発揮した霊的資質だったのです」

 


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自分の醜さに気づいた人は既に輝き始めている

自分の心が醜い、卑しい、汚い…ということを嘆いて苦しんでいる人は、ほんの少し喜びましょう!

なぜなら、今の自分に満足できない、もっと向上したい、良くなりたい、という気持ちが、貴方を苦しめているならば、その「苦しみ」は正しい善い「苦しみ」だからです。

人の「正しい心・向上心」が生み出した「苦しみ」は、宝石を磨く「研磨剤」のようなものです。
その「苦しみ」と正しく向き合い、ぶつかっていくことは、必ず貴方の心を輝させてくれます。

今、自分の心に醜さを感じて恥じているなら、既に「心」が磨かれ始めている証拠です。

後は、自分の心の「研磨の痛み」に耐え、良い心へ向ける努力を続ければ、必ず、貴方の心は眩しい程の輝きを放つことになる筈です。

 

人の心の輝きは、絶え間ない努力(研磨)が生み出す

なぜ、人の心が輝くために「苦しみ」が大切なのかを考えてみましょう。

ある2つの境遇にある人間を想像してみてください。

  • Aさん: 子供の頃から全てに恵まれ、苦労・悲しみ・痛みの経験が一切ない
  • Bさん: 子供の頃から苦労が多く、家族や周囲の人と支えあってきた

どちらの人間が、大人になった時に精神的に成長できたでしょうか?
人を思いやり、同情し、憐れみ、慈しむ心を育てることが出来たのは?
もし、貴方ならばAさん、Bさんのどちらと友達になりたいでしょうか?
もう、答えは出ていますね。

人の心は、「苦しみ」や「痛み」を経験することで大きく成長し、輝きを増していくのです。
逆に人の心は「安楽」と「恵まれた」状態が続くと、際限なく我儘になり、醜さを増していきます。

例えば、極寒の中で生活している人は気温10度の場所でも「暖かい」と感謝できますが、快適な生活に慣れた人は僅かな温度差で不満を感じます。
そして、快適な状態しかしらない人は、厳しい寒さも、その中で生活する人の辛さも理解することはできません。

古の人たちは、人の心の敵として3つの要素をあげました。

  • 自分自身… 肉体的欲求、欲望、感情、野心
  • 俗世……… 自分を取り巻く環境、周囲の人
  • 悪魔……… 人の心を惑わし、向上を阻止せんとする邪霊、悪霊

そして、この3要素のうち最も大切なものは「自己との闘争」だと考え、心の醜さ・未熟さを捨て、正しさ・美しさを手にするためには、真っ先に「自分」の克服から始めるべきだと考えました。

これが、自分の「自由な心」を手に入れるための第一歩となります。
これが成就できれば、周囲の人、物、金には容易には惑わされなくなり、強く美しい心になります。

暴走する感情に振り回されて、自分で上手く操縦できない「心」は、本当の自分の心とは呼べません。
自分自身で自由にコントロールできるようになって初めて「自分の心」といえます。

そして、暴走する感情を抑え、自分の良心に従わせる強さは、反省したり、懺悔したりする程度では得らません。「人間の本性」は、「心の葛藤」と「苦しみ・痛み」の中で、良心に従った行為を繰り返すことでしか変えられないのです。

●高級霊の語る「人間の性格形成」とは?…(高級霊インペレータ:「霊訓」より)
人間の性格は行為と習性と気質によって形成され、それが霊性を決定づけていくものと理解するからである。そうした性格も長き苦難の過程を経てようやく改められるものであり、それ故にわれらは言葉より行為に、口先の告白よりも普段の業績に目を向けるのである」

つまり、日ごろから誰かを恨み、妬み、虐め、そして常に利己的に、我儘に生活しながら「善人」になることは絶対に出来ないということです。
「人間の性格」は、日々の行為により、僅かずつ積み上げられ、形成されていくからこそ「尊く」、「何物にも代えがたい価値」があるのです。

自分の心の醜さ・未熟さに嫌気がさしているなら、貴方はまさに今、戦おうとしています。自分の心に磨きをかけようと欲しています。
どうか、勇気と忍耐力をもって、日々の中で良心に沿った行為を心がけ、それを続けてください。

同じ作業を続けている仲間として、私も応援しています。

【この記事の続編はこちら】

 

自分の容姿(顔・体形)が嫌い・好きになれない場合は?


自分を好きになれないという理由の中には性格だけでなく「容姿・顔」という場合もあるでしょう。

ですが、今回の地上生活で「今の容姿」に生まれたのは、必ず理由があり、誰しも「その理由」に納得して選んで生まれてきたのです。

「その理由」とは、例えば、現在の容姿が「美しくなく」、自分でも嫌悪したくなるような場合、前世では自分の「美貌」を悪用したり、もしくは自分の美貌を誇るあまり、醜い容姿を持つ人をバカにして傷つけた等です。

いずれにしろ、自分の容姿がコンプレックスになる程、「苦しみ」を感じる場合は、前世の行いによる「罰」の可能性が高いかもしれません。そして、たとえ容姿が優れていなくても、それを全く苦にせず明るく、優しく生きている人は、「前世の罰」とはいえず、物質界での容姿を気にしない程、「霊性が高く進化している人」だと言えます。

何度も転生を繰り返し霊性が高く進化していれば、男・女・障碍者などの人生経験も豊富ですから、たった一人生の容姿であれこれ悩むようなことはしなくなるのです。

また、貴方の身体は今人生においてたった一度っきりの使い捨ての身体なので、来世では全く違う身体・容姿・性別になるのですが、それでも人間が転生する(生まれ変わる)際に、引き継がれる身体部位があります。それは「目」です。
人間は、何度、転生を繰り返しても「目」だけは、その人の霊性を映す鏡として特徴・雰囲気を残しています。

ですから、もしあなたが誰かに「とても良い目をしていますね!」と褒められたことがあるのなら、大いに喜びましょう!

●人間の転生「生まれ変わりで引き継がれるもの」とは?…(アランカルデック著:「霊の書」より)
●質問者(アラン・カルデック): 「再生してくる霊は前世での性格の面影を残しているものでしょうか?
〇聖ルイ霊団: 「幾つも再生すれば社会的地位もいろいろと体験していることでしょう。たとえば大邸宅の主人だったこともあれば召し使いだったこともあるでしょう。するとその好みも大いに異なっていて、かりに両者を一度に見たら同一人物とは思えないほどでしょう。」

●質問者(アラン・カルデック): 「前世での身体上の特徴の痕跡はどうでしょうか?
〇聖ルイ霊団: 「新しい身体は前世での身体とは何の関係もないはずです。ところが霊性がその身体に反映します。そして身体は物質にすぎないとはいえ、霊性の特徴が身体に反映し、それが顔、とくに目に出ます。目は心の窓とは至言です。つまり「目」を中心とした人相が、身体の他のどの部分よりも霊性を強烈に反映します。形の上のハンサムとか美形とかの意味ではありません。かりに形は悪くても、それに善良で賢明で人間味のある霊が宿れば、見る人に好感を与えます。」

では、なぜ「霊性が進化(霊格が高い)した人」は、自分の容姿にあまりコンプレックスを抱かないのでしょうか?

それは、霊格の高い人(霊)程、この世の姿は仮の姿であり、永遠に不滅である本当の自分の身体とは違うことを魂の奥底(潜在意識)で知っているからです。

自分の本当の「容姿」とは肉体を捨て、霊となったときに初めて観ることが出来るものですから、地上の肉体の容姿の優劣ごときで一喜一憂する必要はありません。

私たちが自分の本体だと錯覚している身体は、本当は只の「一時的な借り物」であり、魂(霊)の器でしかなく、霊が抜け出てしまえば瞬く間に崩壊してしまう程度のモノでしかありません。

高級霊は、人間の身体を「ただの精巧な機械でしかない」と幾度も述べていて、もっとも大切なのは身体・容姿ではなく、心(霊・魂)であると説いています。

さらに、大切なのは「霊が本体であり、肉体は只の殻でしかない」という部分で、多くの人(霊や魂の存在を信じている人であっても)が考えている「肉体が本体で、魂は付属物」というのは全く誤った認識なのです。

そして自分の本当の「容姿」は、地上時代の容姿とは全く関係なく、霊格・霊性の高さが「美しさ・光輝」となって現れます

●人間の魂(霊)の本当の容姿とは?…(「ベールの彼方の生活 第2・3・4巻」より)

次に紹介するのは、1910年代に書かれた有名な霊界通信であるG・V・オーエン著「ベールの彼方の生活」の中にある、生前に心優しくも貧しくみすぼらしい靴職人、高齢だった老婆が、美しい貴公子・貴婦人へと「本来の霊の姿」へなったことが記されている箇所です。

いずれの話も、私たちとは次元の違う霊性の高さを備えた人たちであり、私たちは死後すぐに、彼らの住む階層へは行くことはできなでしょうが、この地上生活、さらに霊界での生活において魂の浄化、および善性を高める努力を続ければ、いずれは到達できることでしょう。


●貧しいが心優しかった靴職人の話:
〝何年も前〟のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。なんとか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。
こちらで出迎えたのもホンの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分如き身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。

…略…(高級霊が現れ、彼に霊団のリーダーになるように依頼するが、彼は「自分には不相応」と固辞する。その後、美しい貴公子へと変化が始まる)

彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ昇るころにはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。
(「ベールの彼方の生活・第三巻」: -7.後なる者、先になること多し-より)


●素朴にして神への畏敬の念の中、貧富に関係なく人々に優しく接した夫婦の話:
中にただ一人、ゆっくりとした歩調の男が居る。その表情は喜びに溢れてはいるが、その目はまだ辺りを柔らかく包む神々しい光に充分に慣れていないようである。

その時、館の女王が大玄関より姿を見せ一団へ向かって歩を進めた、女王はほど近く接近すると歩を止め、その男に懐かしげな眼差しを向けられた。男の目がたちまち困惑と焦燥の色に一変した。すると女王が親しみを込めた口調でこう挨拶された。

「ようこそジェームス様。ようやくあなた様もお出でになられましたね。ようこそ。ほんとにようこそ。」

が、彼はなおも当惑していた。確かに妻の声である。が昔と大分違う。それに妻は確かに死んだ時は病弱な白髪の老婆だったはずだ。それがどうしたことだ。いま目の前にいる妻は見るからにして素敵な女性である。若すぎもせず老いすぎもせず、優雅さと美しさに溢れているではないか!

すると女王が言葉を継いだ。
「あれよりこの方、私は陰よりあなた様の身をお護りし、片時とて離れたことがございませんでした。たったお一人の生活でさぞお淋しかったことでしょう。が、それはもはや過去のこと。」

彼はその麗しくも神々しい女王こそまさしく我が妻、吾が愛しき人であることを判然と自覚し、そう自覚すると同時に感激に耐えかねて、どっと泣きくずれたのである。
(「ベールの彼方の生活・第二巻」: -2.一夫婦の死後の再会の情景-より)


●孫を救ってくれた「お礼」に来た「老婆」が美しすぎて高級霊が狼狽する話:
その婦人(少女ミランヌのお婆さん)は実にお美しい方で、男性の光輝と相まった眩しさに私はただただ狼狽するばかりで、黙って見まわすしか為すすべがありません。

すると婦人はその握りしめていた手をさらに強く握られながら幾分高く持ち上げられました。続いて婦人の美しい頭にのっていた冠が私の目の前に下りて来ました。

私の手に口づけをされたのです。そしてしばしその姿勢を保たれ、私は婦人のしなやかな茶色がかった髪に目を落としました。まん中で分けられた髪が左右に垂れ、黄金のヘアバンドを付けておられました。私はひとことも口が利けませんでした。

それから私はおもむろに(隣にいた)男性の方へ目をやって私の戸惑いの気持ちを訴えました。すると婦人がゆっくりと頭を上げ私の顔を見つめられ、それと時を同じくして男性の方がこう言われたのです───〝アーネル殿、このご婦人は例の少女ミランヌの祖母に当たられる方です〟

そう言われて婦人の方へ目を向けると、婦人はにっこりとされて・・・。
(「ベールの彼方の生活・第四巻」: -2.先発隊の到着-より)


●質問者: 人間とは「肉体(物的身体)」のことなのでしょうか?
〇高級霊シルバーバーチ: 「肉体は霊の力によって動かされている機械です。あなたは肉体ではありません。地上にいる間だけその肉体に宿って自我を表現している〝霊〟なのです」

「あなた方は肉体を具えていますが、これは一種の機械です。つまり肉体という機械をあやつりながら自己を表現しているわけです」
(「シルバーバーチの霊訓」の各巻より)

高級霊インペレータが、道を誤った人間(霊)に対して説いた言葉

高級霊インペレータが、自殺によって地獄へと落ちた人間(霊)に対して説いた言葉は、私たちとっても非常に参考になります。
誤った行為によって発生した性癖(性格)は、どんなに困難であっても「正しい行為を繰り返すこと」によってしか改善されないことを示す好例です。

「何らかの善行への欲求が芽生え、その行為を通じて自らの救済に勤しむことである。
そこに辿り着くまでには悔恨と不愉快な労苦の道を旅せねばならぬ。
それを措いて他に魂の清められる道はない。

利己主義は自己犠牲によりて拭わねばならぬ。
怠惰は労苦によりて根絶せねばならぬ。
彼の魂は苦難によりて清められねばならぬ。
それが向上進歩の唯一の道である。

その道は過去の誤れる生活によりて歩行困難、否、ほぼ不可能にされている。
が、努力によりてたとえ一歩でも進まねばならぬ。

しばしば転倒することであろう。後戻りすることもあろう。

が、それによりて、これでもか、これでもかと徹底的に忍耐力を試されるのである。
一歩一歩と、悲しみと悔恨と恥辱の中に、時には意気消沈し、時には絶望の底から叫びつつも、その道を歩まねばならぬ」 



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